沢田 泰司

沢田泰司

 

 

 

 

沢田 泰司(さわだ たいじ、1966年7月12日 - 2011年7月17日)は、千葉県市川市出身のミュージシャン。

血液型はA型。通称はTAIJI。X(現・X JAPAN)を経てLOUDNESSやD.T.Rなどで活動した。

 

X〜LOUDNESS〜D.T.R〜Cloud Nine〜THE KILLING RED ADDICTION、TAIJI with HEAVEN'S、TSP のベーシスト・ギタリスト・アレンジャー・作曲家。

「呪文降臨〜マジカル・フォース」などを唄うSister MAYOは実妹である。

ベースのみならずギターもプレイし、X在籍時からアコースティックギターによる楽曲も数多く残している。活動の詳細は後述する。

芸名については「Ray」(ディメンシア)、「TAIJI」(X、Cloud Nine)、「沢田泰司」(LOUDNESS加入以降)、「沢田大司(読みは本名と同じ)」。D.T.Rの2ndアルバムの製作中に自身の長女、長男の姓名判断を依頼したところ『まずは貴方が改名なさい』と言われたため

 

「泰司」を「大司」と改めた。晩年は基本的にX時代の「TAIJI」または本名である「沢田泰司」を使用していた。

結婚歴があり、Xメジャーデビュー時に結婚。前述の長女と長男をもうけたが、後に離婚した。

ファンクラブは「ガソリン・カウボーイ」。元々は沢田の個人ファンクラブだったが、後にD.T.Rのファンクラブとしても活動し始めた。現在は解散。

 

 

来歴

  • 1966年7月12日、千葉県市川市に生まれる。兄と妹が一人ずつおり、妹は前述の通り歌手のSister MAYOとして活動している。2歳の時、親が経営する工場の機械に手を突っ込み、右手中指の第一関節から上を切断した。
  • 1974年、小学2年生でアコースティックギターをプレイし始め、3ヶ月後のクラス会で初ステージ。曲は「禁じられた遊び」(正確には映画「禁じられた遊び」のテーマソング「愛のロマンス」)」だった。
  • 1978年-、中学生になると家庭の事情(両親が離婚し母親が再婚した)から非行に走る。
  • 本人曰く「中学3年までにケンカ、バイク、シンナー、女の類は全部やった」とのこと。初めて買ったレコードはジョン・デンバーの『スウイート・サレンダー』と自称していたが、実際は西城秀樹の『薔薇の鎖』であるとのこと。
  • 1982年、千葉明徳高等学校に進学して、エレクトリックギターを始めロックにのめり込むようになる。同時にバンドも組み、沢田の作ったオリジナル曲でコンテストを勝ち抜いた。またベスト・ギタリスト賞も受賞。
  • 1985年、友人のバンド「ディメンシア」でベースをプレイしたことがきっかけで、ベーシストへ転向。ディメンシア時代はRayという名を名乗っていた。その後、ディメンシア脱退後は「プローラー」に加入するも、リーダーのセイブン (Vo)と反りが合わずライブを一度も行うことなく脱退。また家も勘当され、一時期渋谷のラブホテルで住み込みのアルバイトをして暮らしていた。Xのメジャーデビュー後、両親をライブに招待し、和解した。
  • 1986年、いくつかのバンドを渡り歩いた後にXへと正式加入。当時沢田はXの音楽性が自分に合わず加入するつもりはなかったが、YOSHIKIの熱心な誘いを受けるうちに「この人となら音楽以外の何かでもできそうだ」と感じ、沢田の推薦するギタリストと交代させることを条件にXに加入することになったと語っている
  • その後一度脱退しているが、また戻ってきている。この時のXは、インディーズの頃からメンバーに課せられる出費が大きく、とてもアルバイトでは追い付かなくなり、身の回りの物を売り払ってまで費用を用意していた。ひどい時は電気を止められ、食べる物を買うお金さえなく、コンビニエンスストアでパンを盗んで飢えをしのいでいたという。
  • 1989年、Xメジャーデビュー。
  • 1990年に山羊智詞&赤羽楽団に参加。
  • 1991年頃からスタジオミュージシャンとしての契約になる。
  • 1992年1月31日、X脱退(実質的には解雇)。ラストステージは1月7日の東京ドーム3days。Xからの公式な発表では音楽性とファッションの違いとされていたが、沢田自身は自伝の中で「自分がバンド内での収入格差に文句を言ったのとYOSHIKIのドラムプレイに対して平気でダメ出しをする様になり、彼との間に軋轢が生じたからではないか」と述べている。
  • 1995年、芸名を本名から沢田大司に改名、またバンド名の略称であったD.T.Rを正式な名称とした。D.T.Rの2ndアルバム「Daring Tribal Roar」をリリース。1996年頃、D.T.R事実上の活動休止。ほぼ同時期に経済的な理由で妻とは離婚。以降約2年に渡って放浪生活を送る。この頃は倉庫などに寝泊りしており、喧嘩で前歯を折られるなどの被害に遭う。      
  • 1998年5月、HIDEの葬儀に出席し、久々に旧友たちと再会を果たす。その後、彼らの支援によって活動を再開する。この頃に芸名を本名の沢田泰司に再び戻す。やがてCloud Nineを結成するも、Cloud Nineでは出来ないアコースティックな音楽も志向しているという理由で間もなく脱退した。(しかし、メンバーとは良好な関係を続けていた。)その後音風を結成してギターとベース・ギターを兼任で在籍。音風には、ボーカリストとして実妹のMASAYOも在籍。
  • 2005年、バイク事故を起こし足の靭帯を切断するほどの大怪我を負う。手術費用工面のため、自身のベースをインターネットオークションに出品。
  • 2006年、1月8日にMASAYOの脱退が音風公式サイトで発表された。また、同年7月30日より再びD.T.Rの活動を再開、個人としては初となるオフィシャルサイトがオープン。そして、シルバーアクセサリーブランド「DTROCKERS」を立ち上げる。
  • 2008年9月、持病のてんかん・脳梗塞が悪化、左足大腿骨頭壊死による人工股関節が外れ緊急手術。歩行困難となり、12月2日に転倒事故で胸と喉を強打し入院したことが自身のブログで(スタッフによって)明らかにされた。
  • 2009年7月、80年代に「東のX、西のCOLOR」として一世を風靡した、元COLORのボーカリストダイナマイト・トミーらとともにバンド「The Killing Red Addiction(TKRA)」を結成。ロサンゼルスのWhisky A GoGoという、ロックバンドの聖地的なライブハウスでお披露目ライブを開催した。
  • 2009年11月、2007年以降活動が停滞していたD.T.R(Dirty Trash Road、以下旧D.T.R)の解散を発表。理由は沢田によると「スタッフのD.T.R収益の横領による精神的ダメージ」であるとしている。この件について沢田によれば「D.T.R関連の一切の利益がスタッフにのみ渡っており、メンバーには一円も還元されていない」という。また、メンバー間の音楽的な相違が見られたことも関係していると語られた。同時に、沢田と黒田により同名のバンド「D.T.R」(以下新D.T.R)の結成が発表された。新D.T.Rは「Death to Rive」の略と説明されている。旧D.T.Rのメンバーは沢田と黒田を除き、現時点では不参加。それ以外のメンバーとスタッフを公募していた。
  • 2010年1月、自身のバンドであるTAIJI with HEAVEN'Sを本格始動。TAIJI with HEAVEN'S名義でファーストミニアルバムをリリース。
  • 2010年4月、クラウド・ナインのShu、TAIJI with HEAVENSのDAI、CRAZY QUARTER MILEのHINAとともに3バンドの合体プロジェクト「TS PROJECT(TSP)」を始動。ボーカルは10月にDAIからC.O.R.Eの丸木“TAZZ”忠大に変更。TSPは活動開始以降精力的にライブ活動を行なっていた。
  • 2010年7月、8月14,15日に日産スタジアムで開催される「X JAPAN WORLD TOUR Live in YOKOHAMA 超強行突破 七転八起 〜世界に向かって〜」に緊急参戦が決定したとメディアで報道された。報道通り沢田は14日15日の両日に当時と同じTAIJI名義にてXを演奏し、1992年の東京ドーム3days,「破滅に向かって」以来約18年ぶりに旧友であるX JAPANのメンバーと共演。ライヴ後のインタビューでYOSHIKIは「またTAIJIに来てもらう事もあるかも」という発言をしていたが、2011年7月17日に沢田が他界してしまった為、これが最後の共演となった。
  • 2011年7月11日、成田からサイパン島に向かう航空機内で乗務員に暴行、窓や座席をたたいたり蹴ったりしたとして逮捕された。拘束中にベッドのシーツで首を吊って自殺を図り、病院の集中治療室で治療を受けていたが、意識不明になっていることが同月15日に報じられ、同月16日に脳死状態に陥った事から、
  • 婚約者と家族が現地入りし対面した後、家族の同意を得て人工呼吸器など延命機器が外され、同月17日に死亡した。45歳没 なお、7月17日に放送予定であったTBS系『クイズ☆タレント名鑑』は出演シーンをカットされて放送された
  • 沢田の死について、X JAPANのメンバー5人(PATA、ToshI、SUGIZO、YOSHIKI、HEATH)、LOUDNESSから3人TSP(SHU、TAZZ、HINA)から3人、D.T.Rから5人清水賢治)それぞれ沢田と共に活動したバンドメンバーらが追悼のコメントを発表した
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ギタリストとして

  • X〜D.T.R在籍時には、ベーシストでありながら同時にアコースティックギターをプレイする機会も多かった。アマチュア時代には元々ギタリストとしてスタートしていることもあって、その技術力は高い。。
  • LOUDNESS加入時にギターの腕を披露する機会が有り、その実力に高崎晃をも唸らせたという。またHIDEはソロデビュー曲「Eyes Love You」のギターソロのタッピングは「TAIJIに教えてもらった」と語っている。
  • 音風では、アコースティックギターのみならずエレクトリックギターもプレイしている。
  • バンドサウンドにおける作風は、X在籍時はベーシックなハードロックに、起伏のあるドラマチックな展開を持たせて仕上げているものが多い。特に前期3枚のアルバムにおけるアレンジメントは、ギタリストであるHIDEと沢田との共同作業で行われていることもあって、実に幅が広く緻密で、Xというバンドの持つ音楽的中核を担うものとなっている。
  • D.T.R在籍時は、よりラフで隙間の多い'70年代的なバンドサウンドを標榜しつつ、演奏力やアレンジでは同時代的のものを聴かせるという、ある意味でモダンな作風だった。特にギタリストである藤本泰司とのコンビネーションによって生み出される楽曲はまさに、国籍・年代不明のものであった。

趣味

  • プライベートでは実に多趣味でその1つである料理は相当な腕前。沢田は小学生の頃から、「レストラン泰司」という名前で週末になると数種類の料理を用意して友人に振る舞ったり、ミュージシャンになってからでもレコーディング期間中は自ら料理を作ってバンドのメンバーやスタッフにご馳走したりしていた。最終的にはかなりの技術を身に付けたようで、「しまいには懐石料理まで作れるようになり、その時ばかりはさすがに音楽をやめて、料理人になろうかとまで考えた」とは本人の言葉。無名時代、YOSHIKIと一緒に暮らしていた頃も沢田が料理を作っていたらしい。
  • 中学生の頃から釣りにも凝っており、ある時父親が「ウナギなら一尾500円で買う」と言うので、本気になって一晩で10尾を釣り上げたことがある。他にも様々な種類の雑技に優れていたが、最後までやりたいと思ったのが音楽だったという(自伝「伝説のバンドXの生と死」から)。

 

  • X脱退後から順風満帆とは言い難くなっていたが、特にD.T.Rの活動休止前後からは沢田の人生は坂道を転げ落ちていくように墜ちていく一方になっていった。仕事もプライベートも上手くいかず、精神的にもすさみ、荒れた生活を送るようになった。妻からも離婚を突きつけられ、家を出た沢田は上野でホームレスとして生活するまでになったが、実際には印税が振り込まれる銀行口座を所有していたことで最低限の生活は維持されていた
  • その後、ずっと疎遠であった実母から援助を受け安アパートで新たな生活を始めるが、自殺未遂を図るなど精神的に不安定な状態が続いていた。
  • その後も酒の飲み過ぎで肝臓を壊したり、精神的な病にかかり入院するなど不安定な状態が続く。その後しばらくは精神的な不安定さはほとんど見られなかったようだが、今度はバイク事故を起こし、一生松葉杖を使い続ける覚悟をしなければならない様な大怪我を負い、心身ともに満身創痍の状態に陥る。だが、やっと立った状態で演奏出来るまでに回復し、体に負担を掛けないようにマイペースで音楽活動を続けていた。
  • 1998年のHIDEの訃報の際には自身の生活もままならない中で葬儀に駆けつけた。その際、ケンカで折られた歯をYOSHIKIに見られ、後日YOSHIKIから200万円ほどの金を渡されたとのこと

 

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